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展覧会「居場所はどこにある?」Interviews

竹村京&鬼頭健吾 TAKEMURA Kei & KITO Kengo

「居場所はどこにある?」展覧会設営風景
中央奥:竹村京

これまで別々に活動してきたお二人ですが、コラボレーションしようとと考えたのはなぜですか。

竹村:私はアートには予言する力があると思っています。この時、別にコロナに合わせたわけではなく、偶然2020年1月に二人で展示することが決まっていました。

鬼頭:「二人でやったら?」と誰かに言われた事があって、その時は「やるわけないよね」という感じだった。でも記憶には残っていて、たまたま展覧会のオファーがあったのでやってみたら面白いという話になった。だからきっかけとしては、自分の意思もあるけど自分の意思じゃない部分もあるよね。

竹村:今は結婚して12年くらい経っているけれど、結婚当初だったら絶対やらなかったと思う。15年ぐらいベルリンに住んでいたのですが、玄関を開けたらドイツ語しか話さない外国だったから、その中で身近な日本が家族しかいなかった。鬼頭の作品は私とは全く違うものなんですけど、違うなりに許せない作品ではないというか。
こっちもテリトリーの範疇にいる家族を理解しようと思うわけです。12年経ってアートを一緒に作るまで許せるようになった。それまで私は人と制作するのは絶対に嫌な人間でした。

居場所についてどう考えますか。

鬼頭:僕はあまり考えたことがないですね。環境から何を得るかというより、環境を変えるタイプなので。何事もすぐに影響を受けないというか、噛み砕いて時間が経ってから徐々に影響を受ける。ニューヨークからベルリンに移った時は「ニューヨークにいるべきだったな」って思ったし、ベルリンから日本に帰ってきてからも「ベルリンはいい場所だったな」って思った。今は高崎がすごくいいと思っている。そういう意味では場所について「ここでなければいけない」と思ったことがないね。

竹村:私は小さい頃から父が転勤族で、常時一緒にいるのは家族しかいませんでした。今も鬼頭と息子という家族が揺るぎない支点ですね。私もあまり場所にこだわらないです。

鬼頭:東京や名古屋(鬼頭の出身地)の人って他の場所に移らないんだよね、僕にはあんまりその感覚がわからないんだけど。

竹村:いや、あなたはずっと名古屋にいるのよ。それがあなたの居場所よ。

鬼頭:ああ、そっか。そうかもしれないなぁ。

《Playing Field 00》《Playing Field 004》《Playing Field 005》《Playing Field 006》
「居場所はどこにある?」展覧会場写真

息子さんが制作に関わることはありますか。

竹村:私のトランプのシリーズには息子にも参加してもらってます。ただそれは単純に息子がトランプを壊しちゃったのがきっかけで、修復のシリーズなんですが。こんな風に他者が否応ない力で入り込んできた時にどう対処できるかという話ですね。私は女子校だったこともあり、男性のマッチョさを理解できなくて、子供でも別々の人間という風に捉えています。ジェンダーという部分では男性に対して怒りしか湧かないので、そこは考えないようにしています。家族だから許せるというところはありますね。

竹村さんの布の上に鬼頭さんがペイントし、竹村さんが刺繍するという制作過程で何を考えましたか。

竹村:私はそもそも、背景を汚さないようにベールを被せて刺繍しています。その上に油絵やアクリルで描くこと自体が信じられないことなんですけど、それが12年経って許せるようになったんですね。

それは多分、息子のおむつ替えや鬼頭の出したゴミを片付けることで、昔、繊細だった何か柔らかいものがめちゃくちゃ潰されて、処理できるようになった。「地震が来ちゃった!」というのと同じぐらいのこと。予期できない何かが起こるという感じです。「鬼頭だから何かやってもいい」と思うだけでも、狭い範囲の許しですよ。

鬼頭:僕はその点何にも考えてない(笑)。基本的に全てを断絶したいと思っているので、誰かの思いとかは作品からも断ち切りたい。作品は全然違うものにしたいわけだから、それをどうするか。

彼女はある写真を何か思いがあって撮るけれども、それも無きものにして断ち切りたい。僕はあえてそういう風に作るかな。だから寄り添うとかはない。作品に対しての考え方がそもそも違って…

竹村:いや、作品の構造は結構似ていると思うんですよ。物の移動という考えしかないんです、それだけは同じかなって。この人の絵って絵の具しか見えてこないんですよ、だから私もその上から刺繍しようと思えるし。

鬼頭:僕は何かをぶつけたい訳でもないからね、一切感情がないし。どちらかというと衝動かなぁ、なんだろう。二人で喋ると調子狂うね(笑)。

普段生活しているとき、例えば朝ごはんを食べる時などにも制作の話をしたりしますか?

竹村:良いのができちゃったって言ってきますよ(笑)。それが下地だけだったりするわけ(笑)。下地だけ見せてきて「素晴らしいものができた!」って言う人です。

鬼頭:当たり前だけど、僕には完成形が見えているから、下地の時点で素晴らしいって分かるし、それを共有しようとするんだけど、それが伝わらないんだよ。

竹村:家族でもわからんわ、そんなもん(笑)。私はほぼほぼシカトですよね、あえて、シカトかな(笑)。アートの話もしますけど、最近はアートの環境の話になりますね。

鬼頭:それは僕がそういうことに興味があるからかもしれないけれど。どうやって日本の中にアートシーンを作るか、みたいな。今日もそんな話をしていました。

竹村:あまりに不毛なことがあると二人で怒り続けるみたいな、そういう朝ご飯の会話ですかね(笑)。

お互いに気を付けていることはありますか。

竹村:ないですね、何にもないです。強いて言えば、食べたいものを用意するぐらいですかね(笑)。

鬼頭:ないね、けど相手が怒らないように気を付けてはいるよ。面倒くさいから(笑)。

《Playing Field 004》
「居場所はどこにある?」展覧会場写真

アートシーンと居場所について

竹村:ベルリンは最終地点ではなくて、自分の場所はなんとなく日本なのかなと思います。高崎に来たときに、アートに関わる人たち及びアートの環境がちゃんとくっついてなくて、もっと上手く出来そうなのにとは思いました。

ベルリンはアートシーンがちゃんと認められている田舎だったの。私は高崎はその程度まで行くと思っているんですよ。なぜなら、美術館が3つもあって、色々な方がアートに尽力なさっているので。現代美術は、ちっちゃい力がコツコツやれば結構うまく行くと思うんです。日本の人たちが現代アートをちゃんと活用できているかが重要だと思うので、自分から活用しにいかなければならない。それがちゃんと政治にコミットできてないといけないのに、そこがすごく甘いなと思う。

県庁の中では、美術館のヒエラルキーって超下で農業のヒエラルキーが超上なの。私は絹を使うので、むしろ蚕の力の方がお金を簡単に引っ張ってこられる。美術は今までのアプローチが弱すぎたというだけなので、それを小さな力で積み上げていけばなんとかなると思っていて。だから今、居場所を作っているところですよ。

鬼頭:僕らが高崎に来るとありがたがられるという部分があるんです。僕らぐらいのキャリアの人は東京にしかいないから。例えば、行政のトップに会って少しアートの話をするぐらいはできるんです。それは行政の人の意識を変えるためには必要なんですよ。

竹村:高崎って、古墳とかはあるけど一気に飛んで現代なの。現代美術が入ってきやすい場所だと思うんです。守らなきゃならないヒエラルキーがあんまりなくて。地震や洪水も少なくて、日本の真ん中にあるし。

鬼頭:僕はあんまり地域に還元とか考えてなくて、やったことが結果的に地域に還元なっていくと僕は思っています。自分自身だけじゃなくてみんなが盛り上がっていけばいいとは思っています。考え方は学生時代から変わっていなくて。規模が変わっているだけです。

居場所の話をすると「どういう風にシーンを作るか」そういうことを最近は考えています。僕は教える立場でもあるので、アーティストになりたい人はどんどん減ってはいると思うけど、若者がアトリエをシェアして交流の場所になったらいいなとか考えます。京都ではギャラリーもオープンしてスポンサーもいるんですが、スポンサーをどうつけるかは重要だと思うんだよね。

竹村:私は最初コマーシャルギャラリーにぶら下がっていればなんとかなると思っていたんですよ。全然そんなことないから、現実的に考えて支える人が多ければ多いほど良いんですよ。ネットワークでつなげていくしかない。

鬼頭:多分現代はよりそうなっていて、海外ですら作家をシェアするんだよ。

竹村:どこかにいるお金持ちをみんなでシェアしようということなの。どこかでお金がなくなると、どこかにお金が流れているんですよ。だって物の移動だから。そこにリーチしないと何も始まらない。それはみんなできるわけではないので、それが得意な人とつながる必要があるってことですよね。鼻が効くように動いていなきゃ、作品作っているだけじゃ居場所は保てないんですよね。超お金持ちがバックについて「君を囲ってやろう」というなら別ですけど。

鬼頭:でも現代ではそれは耐えられないからね。誰か一人に囲われて制作するなんて耐えられないでしょ?みなさん。例えば僕の場合、国内にギャラリーが3つある訳です。1つじゃ足りないんですよ、面倒見てくれる人はたくさんいた方がいい訳。お金は別としてね。

作家っていうのは一人じゃ生きていけないから、やっぱり誰かと何かをしなきゃ生きていけない。山の中で作品作って一人で見ててもしょうがないでしょ?そこの間に色々な人が関わってきて、人は多ければ多いほど色々な可能性が出てくる。その中心にあるのがどの世界でも作家の作品。その分しがらみも増えていくけど、それをどう面白くするかなんだよ。

文化もアートも歴史だからね。後輩や先輩がいなければ自分はいない。世代によってそのやり方はどんどん変わっていくと思うし、若い人たちはお金よりも地域が重要かもしれない。それはそれで面白いと思う。僕は層が厚いことがシーンだと思ってる。日本は偏りがあるように見えるけどね。

竹村:アーティストっていうのは続けていくのが大事だと思うんです。やめたらただの社会不適合者だし、だったら続けた方がいい。

鬼頭:学校出たらただの人から始めなきゃいけない。

竹村:ただの人より下だからな!そこからのスタートだからなあ。

「居場所はどこにある?」設営風景

鬼頭:色々な層ということでいうと、例えばMtK Contemporary Artのオーナーは31歳の女性なんだけど、アートとは関係のないクルマ関係の人なんですよ。

竹村:そういう人にアートに興味を持ってもらうこともできる。こっちに引き込むんです。彼女には生活基盤の主軸があるんです。それがないと二人でドボンになる可能性もあるので、主軸のある人の方がいいですよね。

そしてアートってお金の話ばかりになってくると非常に曲がってくる。なので作家は外側にいられるぐらいの所で批判性を持ってないといけないと思っていて。そのために、最低限安定した支援者たちがそばにいてくれることが今の日本では大事だと思いますね。

鬼頭:今の経営者たちはアートに興味のある時代になってきた。それがこのまま続けばいいなと思っているし、どうやって興味を持ってもらうかが大事ですね。概念として現代美術は面白いですから。みんな答えのない中で生きているから、人生のヒントみたいなものが欲しいし、アートをそこにうまく還元できれば社会としても面白いことになるかなと思っています。

美術大学って基本的に囲うことしか考えてないけれども、外の人たちと出会うことも必要だからね。ファインアートは特に籠って「描け!作れ!」みたいなね。今の時代にはもうそぐわないと思うけれども。社会でずっと戦っている人を除いて、どうしても先生と学生の年齢差があいちゃうと話が合わなくなってくるし。今後それが変わってくると思うけどね。

お家でそんな話もしますか?

竹村:散々してるね。

鬼頭:もう一つ言うと、教育の中でお金の話はしないでしょ。先生たちもきっとしないよね。でも実はお金の話は重要で、アートとお金をつなげる必要はないんだけれども、これを無しにすると将来社会に出た時にどうすればいいのかわからなくなる。

竹村:海外のいいのは総合大学の中にアートがあるところが多い。経済学部の子たちがアートを見てアーティストを見てるわけ。今後これが売れるなと言う目で見てるの。単純に日本のアート大学の学生はおぼこすぎるんですよね。

鬼頭:うちの大学院生(京都芸術大学)にはそんな子はもういなくて。うちの学費高いんですけど、学生に「2年で学費ぐらい稼ぎなさい」「そういうシステムをこっちが作ってあげるから」と言う。ほんとに稼ぐ子は稼ぐからね。色々問題はあるんだけれども、実験としては面白い。なぜアートとお金の現実を隠すのかと僕はいつも思っているよ。

竹村:私はもうちょっと美術大学足切りしちゃえばいいのにって思いますけどね。学生も厳選して、社会の中でアートが必要なものだという立ち位置になってほしい。

鬼頭:それはすごく重要だと思ってますよ。社会の中で、アーティストですって言った時に、ああそうですかと返ってくるような当たり前の存在になれたらと思ってる。

竹村:息子の友達たちは、親が二人ともアーティストだってみんな認知してる。そういうのが意外といいのかもしれないね。そうやって他の人の居場所もできていくと思うんですよ、あそこの家はなんとかなってんじゃんってね。

インタビュアー = 鈴木萌夏
編集 = 荒木夏実
協力 = 伊東五津美、姥凪沙、竹下恭可
写真 = 堀蓮太郎

竹村京&鬼頭健吾

TAKEMURA Kei & KITO Kengo

竹村は1975年東京都生まれ。東京藝術大学美術研究科絵画専攻修士課程修了、ベルリン芸術大学卒業。壊れた日用品を半透明の布に包んで刺繍を施す「修復シリーズ」などを発表。鬼頭は1977年愛知県生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科油画修了。カラフルな工業製品から生命体や宇宙を想起させるインスタレーションなどを制作する。

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