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展覧会「居場所はどこにある?」Interviews

岡田裕子 OKADA Hiroko

「居場所はどこにある?」展覧会設営風景

このコロナ禍で考えたことや新たに始めたことなどはありますか?岡田さんはW HIROKO PROJECTでマスクを作っていらっしゃいますよね?

そうですね。去年コロナが流行してから感じたのは、当分、これまで通りの美術活動は難しくなるだろうということでした。息子は大学生になる年だったんですが、高校の卒業式も大学の入学式もできなくて、大学に入学してからも校内にほぼ入れないまま一年が過ぎていきました。そういった意味でも誰にとっても本当に大変なことがたくさんありましたね。

美術の仕事で言うと、例えば、海外での仕事はロシアと台湾の展示の話がありましたが、無期延期となりました。私のパートナー(アーティストの会田誠氏)も、大きな展覧会が全部キャンセルになりました。これまでは、作品を作ってそれを展覧会でお客様に見せるという流れで制作することが多かったのですが、そこにあまりこだわると苦しいことになるなと思いました。作ることをやめるのではなく、少しやり方を変えるというか、視点を変えるというか。

コロナがストレスで、私たちはどうなるんだろうとか、考えれば考えるほど苦しくて。そのこと自体がコロナのウィルスの大きな影響ですよね。この不安をいっそ活動に取り込んでしまうことが、コロナを受け止めることにつながりました。それが去年の大きな変化です。

そこから生まれたのがW HIROKO PROJECTというアートプロジェクト。最初、何をするか決めて始めたたわけじゃなくて、ファッションデザイナーの伊藤弘子さんと、この状況の中で一緒に何か作ってみようというところから始めたんです。その時大騒ぎになってたのが、マスク不足。布のアベノマスクが配布されたことが話題になったでしょ。じゃあマスク作るところからやってみようかって。その場の思いつきですね。活動して行くなかで色々な構想が出てきて、BLOCK HOUSEという場所で、これまでの活動や新作を含めた展示をしたんです。まぁ結局「展示」なったんですが。緊急事態宣言が出る中、活動の紹介や映像作品もあり、とりあえず自分たちが「今、やってるぞ!」というアクションとして展示できればいいと思っています。

「居場所はどこにある?」展覧会設営風景

ご家族の話が出ましたが、ご家族3人ともアーティストとして活動されていますよね。家族でありながら、共同制作者や同業者になると家族の関係性はどうなるのか気になります。

息子が赤ちゃんの時から冗談半分に「会田家」っていうファミリーユニットを組んだんですね。息子が生まれたての時に、ギネスに載るぐらい早くデビューさせようと(笑)。それで2001年にミヅマアートギャラリーで生後3ヶ月で親子3人展をしました。ちょうどワールドトレードセンターの崩壊があって、ACCのレジデンスを機にNYで授かった子を東京で出産した直後の事件だったし、これから息子の生きていく世界が大きく変わると感じたので、そういう内容を寅次郎の初作品として盛り込みました。

でも本当に家族で活動をやることはオススメしませんよ(笑)結婚当初、会田の収入も今に比べたら全然なかったので、私がデザインとか文章関係の校正のお手伝いを頻繁にしていた時期があったんです。でも、結構イライラしちゃうんですよ。やっぱり仕事を家庭に持ち込んじゃいけないんだと思って、2、3年してから一切会田の手伝いはしないと決めたんです。続けていたら、共有している仕事のストレスで家族関係が悪くなるなと思ったのね。今はスタッフさんやアシスタントさんと上手くやっているのでよかったと思っています。

親子3人展は、時々冗談のように誘われてやっていたというか、それほど能動的にやっているユニットではないですね。東京都現代美術館でお誘いを受けた時も(「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」2015年07月18日〜10月12日)、興味深いし息子も乗り気でしたからやってみようかと。でも息子も中学生だったので、家族展は年齢的に最後かなという感じでしたね。面白いものをお客様に見せることができたと思いますが、やっぱり展示の準備の中で揉め事ってほどでもないけど、結局日常と同じ家族の問題が起こってくる。私が家族の中で母として働いていて、ストレスになる理由も同じで、みんなのフォローや尻拭いとか、つまらない中間管理職みたいなことばかりになるとか、いつもの家族と同じ構図ができていて。仕事でも、家族でも、共同体って同じことが起こるんだなという発見がありました。

お互いに自然に色々な話ができるのはいいところですね。多くの家庭でお父さんが何やってるかわからなかったりするじゃない?でも我が家は隠し事があまりない。息子もメディアアートの作品を出したりして活動するようになったんですが、作品のアドバイスができるし、逆に、私の方が作品の途中過程を見せて意見をもらったりしてます。そういう部分で家族間でのコミュニケーションが自然にあるのはいいなと思います。協力して乗り越えていこうっていう気持ちがありますね。

岡田さんが居心地がいいと感じるタイミングは?

うーん、やっぱり、作品作っている時、上手く作れている時ですかね。作っている時が1番幸せみたいなところがある。それ以外で楽しいことというと、お酒飲むとかかな。そんなの話のネタにもならないですね(笑)

ひとりでなんでもない時間を過ごすのは好きですよ。ただその時間が多くなりすぎて、自分をほったらかすと、ほんとに家から出なくなっちゃうんですよ。お友達と会ったり話したりするのもその場はすごく楽しいのですが。日常的に、めんどくさがりでそれがなくてもいいと思ってしまうところがあるので。「無」みたいな時間が好きでもあり、でもそのままだと本当に「無」になるのではと焦ることのせめぎ合い。なんもない時間は好きです。ベッドの中に潜っていると猫が寄ってきたりするなんてことないことに幸せを感じます。

「居場所はどこにある?」展覧会設営風景
左:中谷優希 右:岡田裕子

今回の出品作品《翳りゆく部屋》を制作しようと思ったきっかけは?

あれは2009年の作品なんです。その頃、自分も周囲も年齢がだんだんと上がってきていることも自覚して、高齢化社会や老いについて考え始めたんです。その時は、千葉の九十九里に住んでいて、テレビをつけながら制作していたらお昼のワイドショーをやっていた。ちなみにワイドショーって世界的には珍しいみたいで、日本ならではの文化らしいのね。ちょっと主婦向けって感じのニュース番組がどんどん過剰な語りになっていて凄く盛り立てる感じが気になって。今は見ているのが辛いので、あまりテレビを見なくなったけど千葉に住んでいた時はよく見てたの。それでワイドショーでゴミ屋敷の特集やっていたんですね。ナレーションが大袈裟に「なぁんでこんなにゴミがあるんでしょう!?」みたいな。(笑)

ちょっとモザイクをかけながらも、そこの住人を映していて、見ていて悲しくなってきてしまったの。それで、ゴミ屋敷の住人側の視点で作品作ろうと思ったんです。つまりワイドショーを見ていると外から中を見に行くわけですけど、内側から外から来る人を描いた作品です。今は誰もが仕事や生き方に保障がなくて、私自身将来無一文になって一人で廃屋みたいなところで死ぬかもって不安感はずっと抱えている。だから自分がそういう立場になった将来みたいな感じで主役を演じているんですね。さらに言うと、結構私自身、片付けられない人間だし大事なものを捨てられないタイプなんですね。どちらかと言うと、ゴミ屋敷の住人を蔑んだりしてるのではなくて、自分も同じタイプだからシンパシーがある。

「これはゴミなのかゴミじゃないのか」って言葉が作中によく出てくるんですけど、あの女性自体がゴミなのかゴミじゃないのかという話になってくると思うんですね。社会の中で弱い立場の人が軽んじられているので。

《翳りゆく部屋》Dusky Room
「居場所はどこにある?」展覧会場写真

これまで作品を作り続けていくことに迷いや不安を感じたことはありますか?どのような信念で制作をされてきたのでしょうか。

昔から作ることが好きだったので、美大に入るのも自然なことだったんです。今どんどん色々なことが削ぎ落とされて、美術作品を作ることしか、全く興味がないというか、それがなくなると自分が本当に何もなくなっちゃうんですよね。例えば、私が、一生食べていけるお金があって、そこそこ何にもしなくてよくても、作品を作らなくては幸せになれる気がしないんですよ。

たまに、いくら頑張っても全然報われないという気持ちに苛まれることもあります。ここまで続けて頑張ってきたのに、やりたいことに到達できていないという焦燥感があって、数年前に辞めるべきなのかと落ち込んだことがあったんです。でも息子が「論語に40歳まで続けたらもう一生続けなきゃいけない、それが天命だみたいな言葉があるよ」って教えてくれたんですよ。そう言われると40歳過ぎて同じことを続けてきたし、それを辞めたとしても、どうせあと20〜30年しか生きられないじゃないですか(笑)

女性作家って、やっぱり若くして辞めちゃう人も多いんですよね。例えば、ターニングポイントが30歳くらいであるんですよね、結婚や出産をどうするかなどで。作家にかかわらず、他の仕事でもそうでしょうね。だからこそ「歳をとってもやったるぞ!」っていう、そういう姿を見せたいというのはありますね。何人かはそういう人がいないと、若い人は希望がないでしょ?頑張ってるおばちゃんがいないとね。(笑)

この年齢の視点だから作れる作品があると思うし、若い時にわからなかったことが今になってわかることもある。決して明るいことばかりではないですけど、それでもやっぱり、制作は続けていきたいと思っています。

家族との私生活と作品制作との折り合いをつけることはありますか。

私は今の家族で良かったなと思いますね。どうしても自分のプライベートが全て、作品の一部になっちゃうので。例えばアイデアも、日常生活で考えていることから発想しているので、自分の私生活が多少なりともどこかに反映されるわけです。一緒に住んでいる人の生活を作品化することを嫌がる人は凄く嫌がると思うんですよね。よく聞くのが、制作の内容をパートナーや家族に反対されて決裂したり、家を出ちゃったり、別れちゃうという話。私の場合、最初からそういう相手とは一緒になれないなと思ってたんです。我が家の場合は、それぞれが作る作品の内容に関して基本的には互いに肯定しているんですよ。そこは「折り合い」という意味では楽ですね。

最後に、岡田さんにとって「居場所」はどこにあると思いますか?

私は引っ越しを7回しているんです。実は今年の年末か来年、8回目に突入しそうな感じなんですけど、たくさん引っ越しができてよかったと思っているんです。どれも3、4年ぐらいしか住んでないんですよ。ネガティブな事情だけではなくて、次の行方が見つかったからどんどん移動しているんですけど、旅行してるみたいな感じなの。毎回学ぶことがすごくあるし、地域がちょっと変わるだけで、色々と環境が違ったりして。どこに行っても一緒だなと思うものも見つかるし。だから「どこにでも本当は居場所がある」とか言うとちょっときれいごとですけど、あっちこっち移動するのも自分の居場所の作り方のひとつなのかもしれないですね。あっちこっちに居場所を作って、毎回、場所との別れもありましたが後悔はないです。良かったなと思っています。

インタビュアー = 鈴木萌夏
編集 = 荒木夏実
協力 = 伊東五津美、姥凪沙、竹下恭可
写真 = 堀蓮太郎

岡田裕子

OKADA Hiroko

1970年東京都生まれ。多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。映像、写真、絵画、インスタレーションなど、様々な表現を用いて、自らの実体験ー恋愛、結婚、出産、子育てなどーを通したリアリティのある視点で、現代社会へのメッセージ性の高い作品を制作している。

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